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2024年05月06日
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曇天 その1

2009年04月17日
 
 月も星も見えぬ夜。

 街道を少し外れた森の入口、黒々とした木々がうっそうと繁るそこに小さな焚火の灯りがひとつ。
 しんと静まった夜に、焚火のはぜる音だけが妙に響く。 小さく揺らぐそれはしかし赤々と燃えて、それを囲む二人の男を、よく照らしだしていた。

 炎に近く、またそれの主である素振りの男は、細身…というよりは少々やせ細って見える。 歳の頃なら三十半ばの風貌で、元は黒々としていたであろう頭髪は埃の所為か、或いは色が抜けたかのように灰がかって、身に付けている浪人らしい上衣、袴もまた、擦り切れた灰色でえらく貧相な姿。
 骨張った貌に、揺れる炎が妙に恐ろし気な陰影を、ゆら、ゆら、と、つけては消し、消してはつけるその姿は、まるで薄墨で描いた死神のよう。

 そして、灰色の男が、表情一つ見せずじっと見据える先、炎を挟んで少し離れたところに、これは三十そこそこの闇のように黒い男が座っていた。

 漆黒の上衣、漆黒の裾細袴、旅装束か足元はやはり黒い脚絆でしっかりと留められている。 腰に差した大小は鞘ごと抜かれ、脇に置かれていた。 伸ばし放題の黒髪は月代も剃らず後ろで無造作に束ねられていた。 鳶色の瞳は炎を写して時に黄金色に輝いていたが、その揺らぎには生気を示す明るさは一切ない。

 男たちは先程から終始無言で互いを見つめ合っていた。 彼らの瞳にも口元にも表情らしきものは浮かばぬ。 ただ、ぱちぱちとはぜる焚火の炎だけが、石の様な沈黙を守る彼らの上に、ゆうら、ゆら、朧な影を映していた。

 ひと際大きな音がして薪がはぜた。 視線を捕られたは黒衣の男。 待っていたかのように灰色の男が口を開いた。 低く掠れた聞き取りにくい声、それはその姿と同じに不吉であった。

「雨が、」
「雨、」
「降りますぜ、もそっと此方へ」
「雨など、」

云い掛けて男は口をつぐむ。 ぴちゃりと頬を掠めた水気に貌を上げれば、黒々とした雨雲が空を覆い、今にも降り出しそうだ。
灰色の男が骨と皮ばかりの右手を上げて、此方へと手招きをする。 炎の上で揺れるそれは、妙に生白く、男の不気味さを際立たせた。 だが黒衣の男はそれを恐れる風もなく膝を詰め炎に近寄り――
 
 途端、ざあ、と音を立てて降る水が、男の座っていた地面を黒く変色させる。

 焚火の真上を見上げれば、男が背にしている楠の巨木の枝葉が伸びて、どうにか雨を凌いでいた。 黒衣の男は肩を竦め「風読みでも出来るのか」灰色の男にそう聞いた。

「あたしの名をご存じで?」
「嗚呼、町の者に聞いて参った。 お主の名は多聞、相違あるまい」
「その通りで、その名の通り多くを聞く男でございますれば、風を読んだのではなく、雨音を聞いたのでございます」

 多聞が云うには、雨は突然降るものではなく、どこからかやってくるものだそうだ。

「なるほど、それで多聞か」
「今ではそれがあたしの名前…さて旦那、あたしの名をご存じと云う事は」
「ああ、」
「あたしに何かご用がおありになるって事になりますか」
「ああ」
「如何様なご用でございましょうかな」
「お主、お蓉という名に心当たりはあるか」
「これは懐かしい名を…… 随分昔に別れた女房が、そんな名であった気がいたします、な」
「ひと月前に、死んだ」
「ほぉ、」
「何者かに殺された」
「それはそれは可哀想な事で。 随分浮気な女でございましたがゆえの離縁でしたが、なに、浮気な女と良い女というのは紙一重でございますれば、」
「仇を取らねばならぬ」
「ほぉ」

 多聞の瞳が暗く輝いた。 黒衣の男は脇に置いた大小を静かに左手に引き寄せて、右手を己の首筋にゆっくりとあてた。

「では旦那は、お蓉の最後の亭主というわけでございますか」
「世話にはなったが、亭主ではない」
「あの女にとっては情人(イロ)も亭主も同じ事でございましょう」
「亭主では、ない」
「ふん、では何ゆえに仇討ちなどと」
「約束をさせられた」
「これはこれは」

 多聞の口角が吊り上がる。 その表情は先の話を即していたが、黒衣の男は眉根をしかめて少し困った貌を返した。 仇を討つ理由など本当はないのだ。 それはそんな表情であったのかもしれない。



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